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久野景子さん
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved by Keiko Hisano


久野景子さん(25歳)は、大阪に本拠を置き、多数の有名なブランドによる衣服を作っているニットウエアのメーカーであるナカボー・ジャパン㈱で製品管理をしています。久野さんは、ゆくゆくは、デザイナーになりたいと願っているのですが、表参道でサンプルを手にあちこちを駆け回ったり、あるいは超過密な製造スケジュールの調整をしながら、デザイン業のピラミッドの底辺にいることに今は幸せを感じています。久野さんは、世間話ではわからないが、もっとも大きな持ち前はスピードにあると指摘します。自分の仕事を早く終えればそれだけ、デザインの勉強をする時間がたくさん持てるのです。あらゆる苦労の後には、すばらしいことが待っているものと確信していると、久野さんは言っています。

母が主婦であったことで私は幸せでした。母は、私たち子どもが帰ってきたとき、いつでも暖かく迎えたかったと、いつも言っていました。そうすることが子どもにとって、一番大事なことだと母は考えていました。でも、私は、よく母の背後にこっそりと忍び寄って、びっくりさせたものでした。

事故は起こります、でも多くの事故は起こらずに済むのです。18歳のときに、私たち3人が友達の新車に乗り込んでいました。彼は、2か月前に免許を取ったばかりで、私たちはお祝いをしていました。彼は、すっかり酔っ払っていた上に、誰一人としてシートベルトを締めていませんでした。ダッシュボードをちらと見たら、狭い小路を85キロメートルで突っ走っていたのでした。次の瞬間、車は、レンガ塀に激突していました。奇跡的にみんな助かったのです。それ以来、私はテクノロジーは私達を守ってくれますが、私達自身が自分を守ろうという意思が欠けていると思い続けています。

葬儀は遺された人々にとって悲痛なものですが、故人を偲ぶことで立ち直ることができます。5年前の母の葬儀は、家族全員の元気を奪い去りました。1週間後に、母の初七日の法事に集まり、次いで49日後に再度参集し、そして今でも、定期的に親族や友人が寺に揃って母の供養をしています。私たちは、当初はよく涙を流して泣いたものでしたが、今では母のことで笑ったり、その人生を偲んだりしています。私は、新しい法要の都度、自分の内心の変化を感じることができます。

他人を無視することは、他人に対する最も強力な武器です。私は、この3月からここで働き始めたのですが、いまだに、数え切れないほどの間違いをしています。同僚に注意されることもありますが、私は喜びを感じ、感謝します。それは、同僚が私を気にしていることを意味しているからです。

実質的な成果がなければ、価値はほとんどないのです。すべての仕事をさっと手際よく処理しなければ、誰かほかの人が、さっと入り込んできて私の代わりに処理します。私は、自分のやり方を変えなければなりませんでした。そうしなければ将来、私は、何の仕事もさせて貰えないようになると思うからです。
男に生まれなくてよかった。

女性の方が、ずっとたくさんの選択肢があります。女性は、キャリアウーマンにも主婦にもなれるし、それに今では未婚の母もどんどん増えています。女性だから、あらゆる生き方を選ぶことができるようになっています。
女性かそうでないかに関わらず、私たち女性は自分達を有利にしていきます。
日本では、あらゆることに女性を意識した考え方がされています。たとえば、映画館での「レディス・ディー」、地下鉄車両の「女性専用車」、そしてほとんどのレストランやホテルでの「レディス」プランです。
両親は、子どもに向かって夫婦の悪口を言ってはなりません
ときどき、父親に苛立ちを感じていましたが、取り分け私が十代のころに、父親の周囲にいるのが嫌いでした。しかし、母は、いつも父の味方をして、父がこの上なく立派な人であり、私たちを支えるためにとても一生懸命に働いているのだから、私たちは、父に感謝の気持ちをいつも持っていなければならないと言っていました。いまでは、母がどれほど正しかったかが分かります。

夢を持っていなければ、フリーターでいることはとても悲しいことです。
高校を終えて、2年間、私はコンビニやクリーニング店で働きました。どちらの仕事も最悪でした。私は、社会からはみ出ているように感じたのですが、実際にそうなのでした。私は本当の義務や権利を何ひとつ持たず、何の保険も年金もなければ、ボーナスもなしの、ないない尽くしでした。私は敗北者のように感じになって、安っぽい機械のように、週5日、朝の9時から夕方5時まで働いていました。もっと勉強しようという決心だけが、私の支えでした。

病人の家族も、同じように病気になります。私が大学1年のときに、母が癌と診断されました。私たちは、元気でいようと努めたのですが、思い返してみると、私たちは、母のじわじわと迫る苦しみに満ちた死を目前にして、全員がくたくたになっていました。

編み物をすることが私を母に結び付けてくれます。
母は、編み物がとても上手でして、私たちが小さかったころには着るものをいろいろと編んでくれました。母の死後、私は大学をやめて、デザイナーになるためにエスモードジャポンファションスクールに入り直しました。私には母につながりのあるものを見つけ出すことが必要だったのでした。そのたった一つの道が豊かな色彩の編み糸だったのです。

公共の乗り物で、自分のプライベートな部分を気にする必要はありません。私は、痴漢を怖がるなんてばかばかしいことだと思います。大部分の男性が、誰か自分に触ったと非難の声を上げる欲求不満の女性に変態呼ばわりされないように、両手を上に伸ばしたままにするとか、網棚に鞄を投げ上げるとかして、どれほど気づかいをしているかを私は目にします。自分の父や弟のことを考えると、男性に申し訳なく思います。もう一度言いますが、女性が力を握っているのです。

距離が私たちを引き寄せてくれます。今年3月に私が家を離れてよかったと思います、その理由は、その後父が私を一人前と見るようになったからです。

仕事をすっかりやり終えて、しかも一晩ぐっすり眠れたら、私はとっても順調です。私が学生の頃、課題提出までに1週間の余裕があっても、結局は、教室に駆け込けこむ数分前のぎりぎりに絵を完成させることがよくありました。今では、能率的にやり、しっかり休養をとっています。大人になったんだなと、私は思っています。
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【2007/04/01 22:27】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(1)
新井まさる・かつとし父子
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved by Masaru and Katsutoshi Arai


新井まさるさん(58歳)と息子のかつとしさん(28歳)は、東京の浅草生まれで、代々続く大工の棟梁です。かつとしさんは末子で上に3人のお姉さんがいます。この父子は一緒に働くのが大好きで、いつも完璧なものをつくろうと頑張っています。二人の稼ぎは、毎年大きく上下するのですが、二人が懐に入れる金額も、生き方もほとんど変わりません。

新井工務店ホームページへ

まさる: もう典型的なB型人間です。涙もろくて、頑固なのです。私は、自分と同じ性格の人が好きです。

かつとし:私たち親子は、そっくりなんです。違うところといったら、年齢くらいですね。あっ、それに髪の毛は私の方がたくさんありますが、その程度です。毎週6日間一緒に仕事をしていますから、人柄も似てきたのですよ。

まさる: せがれが私の跡を継いでくれたのでとても満足しています。お客様の中に90歳になる方がおられ、親父が建てた酒場で商売をやっているのですが、せがれも大工になったというのを聞いて、涙を流して喜んでくれました。

まさる: 日本の大工仕事は世界的なレベルです。 ですから、一流の大工になるには、長い年月をかけて技を磨く必要があり、一人前になるのに20年ほどもかかるのです。

まさる: 私は、泣き虫なのです。泣くのにも度胸がいるということであれば、私は度胸のある男ということになります。 10年前に、私は脳溢血で倒れ、生まれて始めて入院したのですが、担架に寝かされて、まるで赤ん坊のように泣き続けました。別に痛いとか苦しいとかいうのではなく、ただもう惨めな気になったのです。家内は、その間ずっと取り乱すことなく、しっかりとしていました。

まさる: どうやって家をつくるかはわたしのお手の物ですが、それをまとめて切り盛りするのは家内です。商売のこと、家族のことそれに家の中のことのすべてが順調に回っているのは家内が頑張っているからなのです。空っぽの家に帰ってくるのは、とても寂しいことです。私たちが、一緒になったのは35年も前のことなのですが、いまでも、玄関の戸を開けて入ったときには、家内の顔を見たいと思いますよ。

まさる: 家計の状況を家内に尋ねたことは一度もありません。家内がいくらお金を使っているのかとか、貯金がいくらあるのかは、皆目見当がつきません。家内は、毎月なにがしかのお金を私に渡し、残りは自分のものにします。私は貰ったお金を旅行やカメラやパソコンの部品に全部使っています。

まさる: 親父が大酒呑みだったものですから、私は酒を一滴も飲まないのです。私は、親父に向かって、親父のようになるのは御免こうむると言ったところ、笑いながら、同じ癖をつけないのが一番だと賛成してくれました。

かつとし:道具が一番大切な持ち物です。大工になったときに、道具一式を買いそろえました。これを私は、一生使い続けていくつもりです。

まさる: 私の道具は、40年来使っているものですが、中には親父の持ち物だったものがあるので、もっと古いものもあります。私の道具には、誰にも触らせません。砥石などは誰かが触ると、すぐに分かります。手の感触が違うのです。

かつとし:最良のおもちゃは想像力です。両親は決しておもちゃを買ってくれませんでした。そんなものですから、3人の姉たちと私は、木の切れ端をとか家の周りのものを使って、ごっこ遊びをしたのです。

まさる: 逸品をつくるには、時間、上等な素材、それに職人の技能が必要です。いつか、予算にこだわらない仕事をさせてもらいたいものだと望んでいます。私は、まだ傑作と言えるものを造り上げていません。

まさる: 私の同年代の人は、悪いことのすべてを今の日本のせいにしています。私たちの年代は、いわゆるベビーブーム世代の人ですが、戦後の日本の復興のために、両親が忙殺されていたところから、子どもを教育する時間が少なかったのでしょう。そのため、私と同世代の人の多くが甘やかされたのです。そして、その人たちが親になって、さらにひどい子どもを育てたのです。

かつとし:秋葉原は「電気街」として生き残っていくに違いありません。いま秋葉原はオタクの町に変わろうとしているのですが、この町は、機械のパーツとか電気用品の材料を買いに通った私たちの様な男どもにとっては、昔から電気の街だったのです。

まさる: 下町の人たちは、とり澄ました山の手の人よりもずっと世界標準に近いのです。私たち下町の人は、自分の思っていることをはっきり口にします。世界中のほとんどの人たちも同じようにします。ところが、山の手の人はよそよそしく、もったいぶっているのです。山の手の人たちは、うわっつらだけの話をするのですが、残念なことに、多くの外国人が抱く日本人のイメージはその山の手の人たちがもとになっていると思うのです。

まさる: 卒業したら、子どもはもう自分で生活費を稼がなければなりません。大学を終えたら、子どもにはもう何も買ってやりません。彼らはもう大人なのですから、自分の生計費はなにもかも自分で稼ぐべきです。私の子どもたちは、4人とも結婚式の費用も車の免許も自腹で払いました。
 
かつとし:私は、親父のことを世界の誰よりも尊敬しています。親は公正であるべきですが、親父はいつも公正です。さらに、親父は、大工の腕前では誰にも負けません。  

テーマ:建築デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

【2006/10/01 00:33】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
ラジカル鈴木さん
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved by Radical Suzuki


 イラストレーターラジカル鈴木の描く、キュートで色っぽい女の子のイラストは、単行本、雑誌、広告に登場します。そんなラジカル鈴木は私の見るところ、ちょっと変った人です。そして、彼自身はそのことが誇りのようです。

ラジカル鈴木ホームページへ

僕は「ラジカル」と名乗っていますが、それは逆に自分が普段過激(ラジカル)ではないからです。私は、ラジカルになりたい。過激に、自分の美意識を表現するアートを創造したいという意味でです。

僕の思うアートとは、脳をマッサージして、詰まっているあらゆるゴミを取り除くためのものです。かつて僕の脳には、山ほどのごみが詰まっていました。だから僕はアートを手がける必要が生じたのです。

僕は一種のオタクです。オタクは基本的に内向的で、自分の内面の世界しか見ていません。一般的に、他者とのコミュニケーションが不得意な人間がオタクになるのですが、そんなオタクにも他者とつながりたい、という欲求はあります。そんな不器用さが、創造的なはけ口を持つと、素晴らしいアートを創作することがあります。

自分の想像の中で僕は、強靱な逞しい男なのですが、本当の生身の僕はまったく逆の弱い人間です。

精神的にはまったくの子供と言って良い。今世界から捉えられている日本文化は、非常に子どもっぽいのですが、僕はそれがずっとそのままであって欲しいと望んでいます。僕たちのような現代の日本人の大部分がある程度のオタクです。要するに大人になりたくないと望んでいます。ストイックに、真面目になろうなどと真剣に思っている人間はごく稀です。

僕は、夢の中や自分のアートの中では、自分の力強さを感じるのです。欲望や熱情、言葉では表現できないあらゆること、そして実生活では手に入らないあらゆることを描きます。僕のアートの中では僕は最高にクールな男であって、どんなに最高な女の子も自分のものにすることができます。僕のアートは、そのような力が感じられるビューアーのようなものです。そう、なので本当のパワーを得るためにも僕のアートを買ってください、僕はまだ少々貧乏なので、それを現実にする力がありません。

それとは別に僕は自分が今月結婚したことが、未だに信じられません。なぜかって言うと、結婚は、生身の人間を対象としている行為だからです。私はオタクだから、そんなことが起こるとは思いませんでしたが、幸せなことに彼女もそうなのです、オタクだったのでした。

僕も妻も、同じくらい人間関係とか本当の恋愛はひどく苦手でした。そんな二人が偶然出会ったので、すぐに結婚しました。つき合っていた期間はたった半年でした。

僕の親くらいの世代の、一般的な見合い結婚と、今のオタクの結婚は、ある意味同じなんです。親の世代では、結婚式までは相手のことを何も知らなかったのですが、僕たちもあまり知らなかったのです。でも、少なくとも僕たちは、一つか二つの共通の趣味を持っていました、それで十分だったんです。

結婚したら、自分の、両親を見る目が少し変わりました。以前は僕は、親に感謝したことなど一度もなかったのですが、今になってやっと、育ててくれたことへの感謝を感じています。でも、恥ずかしいから実際にはそれを言うことはできませんけれどね。

ところで、演歌は日本の心であり、カラオケは素人がそれを表現する最良の手段です。沢山の好きな歌がありますが、僕は森進一の「襟裳岬」が特に好きです。それは、雪に覆われた北海道の小さな港町が舞台で、そこに住む人間の気持ちを歌っています。大都会東京に住む僕は、こんなタイプの生活に憧れるのですが、実際には住むのは難しい。だから歌うことによってそんな気持ちを味わいます。実はこの歌は偶然にも、嫁の亡くなった父親、義父の好きな歌であったのです。カラオケボックスで僕がこの歌を彼女に歌って、それを聞いた彼女は僕との結婚を決意してくれたのです。

女性は僕にとって、まったく理解不能な、不可解な存在です。なので妻は、僕の女性に対する謎の、主な研究対象なのですが、彼女が全女性の代表的な存在なら、全ての女性というものが理解できるようになるでしょう。例えば妻は、気分の変化が激しく、なかなか一定ではありません。これはすべての女性にとって当たり前のことなのでしょうか?不思議です。女性は僕にとっての永遠のテーマなんです。

もう1つの大きなテーマは、セックス。恥ずかしいけれども僕と妻は、家にいるときはよく抱き合っています。だって日本人は普通は、家の外ではあまり身体を触れ合ったりしませんからね。そのぶん、家の中ではおたがいを求め合うのではないでしょうか。

人生はアートであり、アートはセックスである。と、僕は思うんです。そして、だから人生はセックスである。セックスとは単にセックスする意味だけではなくて、生きていること、すなわち他者とラジカルに交わることがセックスと同等の、重要で楽しいことなのだと僕は思っています。オタクの僕だからこそ、それを強く望んでいるのです。」


テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2006/09/26 22:55】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
八谷和彦氏
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved by Kazuhiko Hachiya


八谷和彦氏(40歳)は、ペットワークという社員9人の中小企業の社長です。八谷氏によれば、この会社は、「楽しくてかわいい方法で、大きなことをやっている」のだそうです。八谷氏の会社は、アニメ化されたキャラクターでヒット中のピンクのテディベア「モモ」がメールを運ぶ、評判のメール・ソフトウエア「ポストペット」の開発会社です。そして今ではあるアニメーション作品に出てくる飛行機に似た、ジェットエンジン付きの「一人乗りグライダー」を試験的に作っています。八谷氏の想像力は疑いなくとどまるところを知らないのです。

八谷和彦氏関連サイトへ


素人の方が立派な仕事を成すことがあります。
ポストペットを生み出したころ(1995年)、プログラムを作ったことはありませんでした。でも、私はコンピューターを使ったコミュニケーションを、そのうち多くの人が使うと確信していました。そのころのソフトウエアは、エンジニアがエンジニアのために作ったものが多く、普通の人が使うには難しすぎました。それは、電子メールの利用者のほとんどが男性だったことも関係していると思います。なにしろWindows95が出たばかりの時期でしたから。私は、コンピューターの初心者、とりわけ女友だちのために楽しくて使いやすいメールソフトウエアをつくりたかったのです。それがポストペットだったのです。

私のアーティストとしての役割は、技術をアートやエンタティメントに使うことです。
技術者は、多くの場合、機能のことばかりを考えており、そして、ついその競争のために、やたらとたくさんの機能のついた複雑怪奇な製品を開発してしまうのです。私は、そういうのとは別のアプローチが・・・つまりシンプルで楽しい方向に技術を使っていきたいと考えています。

課題が難しければ、それだけ楽しみが大きいのです。
日本では飛行機を設計・製造できる人はとても少ないのです。大学ですら、そういうことを出来なくなっています。そのため、私は多くのことを行わなければなりません。テスト飛行場所の視察から、テスト飛行のための書類申請まで。しかし、私はどの仕事も楽しんでいます。誰もやったことがないからこそ、この仕事は楽しいのです。ですが、離陸するまでの時間が、あんまり長くならないようにと望んでいます。


私の仕事は、アートをつくることであって、その話をすることではありません。
私は言いたいことを、アート作品にしてしまいます。私のメッセージは、それぞれのプロジェクトの内部に、それも表面上にではなく、その本質にあるのです。

日本の政府は、小学生みたいです。
平均的な日本人は、どんな政治家よりもたぶん大人であって(たとえ、私たちが子どものような顔つき服装に見えたとしても)、おそらく多くの国でそうであるように多くの市民は政治家よりもずっと成熟しています。

日本政府は、米国政府に対しては子どものような考え方をしています。
日本政府は米国政府が日本政府の態度をどう考えているかを知りたがり、そして絶えず彼らの承認が必要だと考えているようです。例えば学校の先生に対する生徒のように。もちろん、米国の政府が意図的にそのように振る舞うことはあるでしょうが、僕は日本の政府は自分自身にかけたこのマインドコントロールから逃れられなくなっているように見えます。

私は誰にもなりたくはない。私は、自分自身として生まれ変わりたい。
誰かにあこがれたり、誰かになりたいと思ったことはありません。生まれ変わったとしても、この年齢で、まったく同じことをしていたい。私は、今のままでとても幸せであり、特に変えたいことなどありません。

真の英雄の姿。
真の英雄は、自分の家族を大切にする平均的な働く男性・女性たちです。しかし、そんな人たちはあまりに当たり前すぎて、誰も英雄視はしないでしょう。ですが、バスや地下鉄の運転手、消防士、医者、発電所の職員、そういう人たちの支えなしに私たちの生活はなりたちません。私は、そういう人たちを尊敬しています。

手で触れることで、愛が育ちます。
初めて自分の赤ん坊を見たとき、実は私は強い絆を感ずることはありませんでした。しかし、ちっちゃな娘を抱いて手で触れる時間が増していくにつれて、どんどん愛情を感じるようになったのです。日本人の男性の多くは、不幸なことに自分の子どもと過ごす時間を十分にとれないような気がします。アーティストである私は、比較的自由に時間を使えるのですが、多くの会社でも育児に関してはそのようになったほうがいいと思います。

アートを収集することは、アーティストを支援することなのです。
私自身アーテイストですが、アーティストの考え方を共有したいと思って、たまに小品のアートを集めています。

技術は、いったん失われると戻りません。
日本の航空技術のほとんどは、第二次大戦後の中断期間によって消滅してしまいました。技術の多くは属人的な性格が強いので、人がいなくなれば技術も失われます。日本ですばらしい木造寺院をいまだに建立できるわけは、巨大な木造建造物を造る技術を心得た特別な大工がその知識を若い世代に伝え続けているためなのです。このような連鎖がひとたび断ち切られたら、再びつなぎ合わせることは不可能でしょう。

アートの目的は、思考を提供することです。
アイディアはもちろん重要ですが、鑑賞者は作品を眺めたり、考えたりする時間を持つために作品を見ているのだと思います。私の仕事のいくつかは、一見アートに見えないものですが、ですがその出発にはアートがあり、手法としてもアートの手法を使っています。

未来の私たちも、現在とほぼ同じ方法で意思の疎通を図るでしょう。
よく未来の電話などについてコメントを求められますが、意思疎通の分野で大きな変化があるとは思いません。その理由は、結局のところ、人間の楽しみというのが、友だちと一緒に食事をしたり、話をしたり、踊ったり、歌ったりすることにあるためです。例えば今すでにテレビ電話もありますが、利用者はごくわずかです。例えばビジネスにテレビ電話が役に立つとは思いますが、根本的なコミュニケーションが大きく変わることはなかろうと、私は、思っています。

日本の将来について。
日本における最大の問題は少子化・高齢化と人口の減少だと思います。この高齢化に伴い、結局日本が出来ることは外国からの移民を受け入れることだと思います。基本的に僕は多様な人種が入り混じり、相互に理解して生きていくことは、日本にとって望ましいことだと信じています。

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【2006/08/26 22:01】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
伊東玲子
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Reiko Ito


伊東玲子。46歳。日本で75人のAFAA(アメリカ・エアロビクス・フィットネス協会)認定フィットネス・プラクティショナーの一人。また、SAQ(スピード、アジリティ、クイックネス)などの分野でトレーナーの指導にあたる。とにかく人々を元気にしたい、そして、彼女はその方法を知っているのだ。

女性にふさわしい場所は、ウェイトベンチの上ね。
もちろん、男性にとっても同じ。それが男女平等ってもんよ。

カラダとココロの健康は、つながっている。健康なカラダは、必ずしも「身体的な困難や問題を抱えていない」って意味じゃない。でも、自分の望むことがだいたいできて、できることなら痛みを感じずに、楽しみながらできたらステキ。

私はマグロみたいにずっと動き続けている。マグロは泳ぎ続けていないと死んじゃうんだ。そう、だから私も決して歩みを緩めない。

私は本のムシでもある。いくら読んでもまだ足りない。
大学では文学を専攻していたけれど、最近は、科学の本も読む。ずっと大嫌いだった物理学の本もね。本を通してもっともっと視野を広げていきたい。

その大学では、つまらない時間を過ごしたな。
教授たちは、やる気のない(から当然理解の低い)学生に合わせた授業をするし。もっともっとハードルの高いものが欲しかったのに、満たされなかった。今は自分が指導する立場にいるけれど、お金の無駄遣いはさせてないつもり。

若い男の子達が、私のことを「ナンパ」しようとするの。18歳~25歳くらいの男の子達。私がキュートな上にパワフルだからって。どういうことか分かる?まぁ、若い男の子達はユーモアのセンスがあるってことだけど、同時に、フィットした女性を好きだってことね。日本では少数派みたいだから、私にとってはラッキー!

そもそもカラダはセクシーなもの。きゃー、言っちゃった、セクハラだって訴えられるかな?でも、「セクハラ訴訟」に対する恐怖が、ほめ言葉を窮地に追いやっている。「性的いやがらせ」という西洋の概念を輸入してから、私たちは自由に互いをほめることもできなくなった。私は今でも、「ステキね」ってほめる。それは、トレーナーと言う立場だからこそできることなのかもしれない。でも、男性が女性にステキなほめ言葉を伝えるのを怖がるなんて、本当に悲しい。

心が潰れそうに悲しいことがあったら、ワークアウトを始めましょう。
身体を動かしていると気分もよくなる。でも、それだけじゃなくて、身体が引き締まったり姿勢が良くなったり…こんなステキなことってある?8年間幸せだった私の結婚生活は、12年弱でピリオド。その時も、私はワークアウトをしていた。とても傷ついていたけれど、ワークアウトをしている時も、終わった後も、クヨクヨする気持ちが晴れていい気分になった。

ずい分前だけれど、「将来子供を生もう」と思って、それまで吸っていたタバコを止めたの。まぁ、その後妊娠することはなかったけど、「百害あって一利なし」の喫煙を止めたのは本当に良かった。

離婚の原因?テニスの試合で元ダンナを負かしたから?なんてね。私に負けるのは面白くなかっただろうけど。勝たせてあげた方が良かった?いいえ、私は正しいことをしたの。

結婚生活がコンピュータのようでなかったのがいけなかったのね。もし離婚して悲しいって思ったら、元ダンナに電話して、コンピュータのことを聞けばいいんだと思う。そうすると、本当に親切に何時間も説明してくれるのを聞くはめになるから、あー「バツイチ」になって良かった、幸せだ、って思い出せるわけ。

日本ではセックスレス夫婦が多いって聞くけど、不思議はないよね。フィットして健康な身体はセクシーなもの。そういう意味で、フィットしてる人って、どこにいるのかしら?

一人で歳をとっていくのは怖くない?ってよく聞かれる。全然。私は自立しているし、友達もたくさんいる。御存知の通り、たいていの夫婦ではダンナの方が先に逝ってしまって、女性の方が長生きする。だから、結婚している女友達も、いずれは一人になるかもしれない。そうしたら、後は女同士で存分に楽しむわ。世の男性たち、ごめんね!

そう、私は東京で一人で生きていけるだけのお金を稼ぎ、自立して生きてる。そういう女性には、世間はこういうの。「あなたみたいな人なら、結婚する必要はないよね」。これって、ものすごくヘンテコなコメントだし、聞くと悲しくなる。だって、女性が男性に面倒見てもらうために結婚するみたいじゃない。もしその通りなら、ダンナが先に逝ってしまうのも無理はないけど。

最近、デートをしていても、いつのまにか悩み相談になっちゃう。そりゃ、信頼してくれるのは嬉しいよ。でも、いい加減にして! 私は楽しい事が好きなの。デートで愚痴や悩みを延々と聞かされるのはうんざり。でも、彼らには私の気持ちなんか見えていない。数回のデートの後、私が急に「忙しく」なってもショック受けないで。

私は鼻先にニンジンをぶらさげたドンキー。ずっとずっとニンジンを追いかけていたい。ニンジンが手に入ったらそれこそ止まったマグロみたいに死んじゃうかも。私にとってのニンジンはみんなを今よりももっと健康で、今よりももっと幸せにすること。

「女の尻を追いかける」タイプの男性は私のことを好きじゃないわね。英語では「スカートを追いかけるヤツ」って言うんだけど、私はパンツの方がずっと好きだもの。
時々、履くのを手伝って欲しいと思うけど。

日本人は、歩く時限爆弾みたい。あちらこちらで爆発してしまいそう。
見た目が細くてもぽっちゃりでも、筋肉がしっかりしてる人が本当に少ない。つまり体脂肪が高いってこと。爆発を止める手伝いをしたい、そう、私に手伝わせて!

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テーマ:健康 - ジャンル:ヘルス・ダイエット

【2006/08/25 22:21】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
角田忠信氏
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved By Tadanobu Tsunoda


角田忠信氏(79歳、薬学博士)は、「日本人の脳」(国内版は、現在38刷)の著者であり、角田式打鍵機の発明者でもある。角田博士は、この簡易な装置を1960年代に開発したが、脳の左右どちらの側が音声を処理しているのかを判定する脳幹システムの切替メカニズムを測定するこのアナログ装置は、現在でも世界で最も正確なものとされている。当初、博士は、1978年にモントリオールで開催された、ユネスコの歴史上の人類の概念に関する専門家会議に、脳、言語及び文化の間の関係に関する研究成果を提出した。博士は、現在もなお研究を継続中であり、脳の美しさに魅了されている。

脳は、コンピューターと同様であり、重要なのは、オペレーティングシステムである。
われわれは、言語を手がかりにして脳に取り組むのであるが、この方式は、まさしくウィンドウズやマッキントッシュを利用することと同じである。私は、日本語又は他のポリネシア言語で初期化された脳については、他の脳とは異なる反応を見せることを発見した。

DNAは、無関係である。
6歳から9歳までの間に日本語又はポリネシア言語を学んだすべての人は、人種、国籍又は民族の背景の如何にかかわらず、左脳部分が、優勢である。6歳未満又は9歳以後に習得した言語は、脳の切替装置には何の影響も持たない。

日本語とポリネシア語は母音に意味を持たせるところで類似している。
日本語には、母音のみのたくさんの音節があり、これらは単語として処理されている。

日本語によるコミュニケーションは、情報よりも感情の交換に近い。
日本語による会話は、動物の発する音声、2羽の小鳥のさえずりに近い。日本語は、他の言語と異なって、論理性に欠ける部分がある。

旧様式のアナログ技術ならば、人間の中枢を詳細に調査できる。
私のアナログ式測定装置は、一見、古びて貧弱なものだから、実際にはどんなに精密であろうと、若い科学者連中は、操作方法を学ぼうという気を起こさない。私は、死ぬ前に何人かには教え込みたいと思っている。

毎日私は新しいことを学んでいる。
私は、およそ40年以上にわたり、1000人以上を対象に、一人ひとりに何回も面接して実験を重ねてきた。

以前にもニートはいたのだが、とりたてて話題にしたこともなかった。
ニートは昔は居候と呼ばれ、他人の世話になり、家族からも友達からも離れて暮らしていた。

普通のものとは異なる、ちょっと変わったことを調べている科学者なんてほとんどいないから、科学者に会うのは退屈だ。
おおかたの学者が望むのは、政府とか企業から研究資金を出してもらうとかスポンサーに就いてもらい、世界中のほかの学者とまったく同じ問題に取り組んでみたいということだけなのだ。

根を詰めて研究することは、脳に悪い。
私が、試験時間中の子どもを調べてみたところ、子どもの脳は、すべて左側に傾いていた。いったん、試験のための詰込み勉強をやめれば、子どもたちの脳はバランスを取り戻して右側に納まる。ところが、いつも詰込み勉強ばかりをしている学校にいる子どもの脳は、誤った位置に固定されてしまうので、将来、何か新たなことを創造することができなくなると懸念している。

日本語の言語脳は、疲労しやすい。
日本人は、小鳥のさえずりから雨だれまで、風の唸り声から笑い声や叫び声まで、すべての自然の音を左脳部分で聞いている。ポリネシア人を除き、世界中の誰もが、右脳部分で処理している。だから、日本人は、左脳を使い過ぎているのだ。

西洋楽器を聴くのは疲れた日本人にはお勧め。
それは、日本人は、西洋楽器音に限り右脳部分で処理しているため、使い過ぎの左脳のバランスが取れるからだ。しかし、日本人の演奏による西洋音楽も日本の伝統的な音楽のどちらも、左脳部分で処理されるところから、日本人の心をリラックスさせるのに役立つ。さらにすばらしいのは、中国楽器も西洋楽器とまったく同じように処理されることから、疲れ切った日本人の脳への安らぎをもたらすことだ。(邦楽は異なる)

創造的な研究は厄介で、取り分け日本人には困難である。
創造力は、右脳部分及び左脳部分の中心にまとまっている。日本語の脳は左脳に偏り過ぎているのだが、このことは、創造性に対しては強力かつ、マイナスの影響を持つ。

日本語の言語脳は、論理と感情を混乱させている。

日本人のなかには、多くの場合、いわゆる右側から私の理論を聞くと、日本人が、特別の国民であると私が話しているような気になり、何か日本にとっていいニュースであると思い込む。私は、そんなことを考えたことも、口に出して言ったり、書き表したりしたことがないのに。皮肉なことに、左翼思想の人たちにとっては、日本人が特殊だと私が言っていると彼らには、聞こえるという理由で、私の理論を誤解している。彼らは、日本人がユニークで何か他の人たちと違うところがあるという考え方を一切受け入れないのだ。。

日本人は歌手である。
カラオケ機を開発したのが日本人であるのは、驚くには当たらない。
日本人は、外国語を学ぶのに、お金と時間を無駄に使っている。
日本人の子どもが、脳幹の切替装置が完成する9歳頃になる前に、外国語を習おうとするのは、効果がない上に、むしろ逆に混乱させるだけである。他言語学習の開始に最適な時期は、だいたい10歳から12歳にかけての頃である。しかも、日本人の外国語学習は、会話から始めるべきであり、現在教えられているように読むことや書くことを先に教えるべきではない。

動物実験は、人間の理解には役立たない。
それなのになぜ、動物実験が行われているのだ。

日本では、価格の安い食べ物でも美味しい。
日本人は、ありがたいことに財布の中身が乏しくても、立派に食べていける。このことは、私が自分の研究ためにお金をためなければならないことを考えると好都合だ。

大地震が東京を襲っても、備えは万全
私の研究室は、コンクリートの中にしっかりと固定された、それぞれ3メートルの高さのポールが60本入った基盤で支えられている。

料理は、最大の実験なり
70歳の誕生日を迎えて以来、私は、実験室でずっと一人暮らしをしている。医師の妻は、働いており、自分の診療所の近辺に住んでいるものだから、お互いが顔を合わせるのは1週間に1度くらいだ。それまで、料理などしたことはなかったが、離れて暮らすようになって、料理が冒険と言えるようになった。私は、新鮮な食べ物を探すのが好きだ。味噌汁の好みの具は、ジャガイモ、人参それに玉ねぎで、豆腐は入れない。私は、絶品の金平ゴボウもつくるし、おせちの黒豆の甘煮は、最高だ。

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【2006/08/19 19:20】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(1)
お待たせ!
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お待たせしました。これから、Words to Live Byの和訳を載せていきます。素晴らしい翻訳協力者の方たちの尽力によって、次々と出来上がってきています。Mr.Toshio Ozawa, Mr.Kodo Miyaoka, Ms.Ritzie Kojima, and Ms.Natsu Kawakami 本当にありがとうございます。感謝です。

「全部英語ではちょっと厳しい、でもユディちゃんのコラムを読みたい」という方、「英語でとりあえず読めたけど、正しく理解できたかちょっと不安」な方、必見です。

ユディちゃんの記事はまだまだあります。そしてこれからもどんどん新しいのが出てきます。なので、どなたかボランティア翻訳をして下さる方、大募集中!!!是非Minaに連絡くださいね。

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【2006/08/16 20:22】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
斉藤よしまさシェフ
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Mina
Approved By Yoshimasa Saito


Kitchen Countryへ

現在85歳の斉藤よしまさシェフは、東京自由が丘のハンガリーレストラン、Kitchen Countryの創設者だ。彼の作るグラーシュ(タマネギ・パプリカ・キャラウェーを用いたビーフシチュー)はとても有名で、セレブ達でさえ、その料理を味わうために喜んで列に並んだものだ。斉藤氏はとても楽観的だ。氏は、かの悪名高いシベリア抑留において5年間も強制労働に従事し、過去5年においては、咽頭癌、肺癌との闘いの日々であったが、これらのどれも、氏の強い精神をくじくことはなかったのだ。

人は、皿洗いによって、料理人へと成長するものです。ここが一番勉強になる所。私は15歳の時から洗い場で働いていました。まずは日本料理店、次はフランス料理店のね。鍋底の残り物をなめて、味の勉強をしたものです。

人はどこでも同じ。皆いい人、やさしい人ばかり。人が悪いのではなく、政府が悪いのです。ソビエト人達だって貧しかったのに、我々に少しでも食べ物をくれようとしていました。見張りも皆親切な人ばかりで、我々の誰かが病気になると、額に手を当てて熱があるか確認したり、数日横になって休ませたりしてくれました。殴るなんて絶対にしませんでしたよ。

私の作った料理ではなく、ごはんを褒められるとうれしいものです。私の料理がおいしいというのは特別なことではない。ごはんが特においしいというのが、褒め言葉です。

味方だったのに、攻撃してきたんです。1945年8月6日に広島、8月9日には長崎に原爆が投下されました。まさにその8月9日、満州では、味方だと思っていたソ連軍が敵になり、我々を銃撃し、捕虜にするという出来事が起きたのです。非常に混乱した多くの日本兵は、抵抗もできずなされるがままでしたよ。私達は捕虜になって、シベリアのキャンプまで徒歩で強制連行されました。8月15日、日本は降伏し戦争は終わりましたが、私達は歩き続け、12月にシベリアに到着したんです。

結婚とは、個人ではなく、家族間の結びつきです。いつも私は、親戚全員に対して責任を感じていました。妻の兄弟が4人の子を置いて亡くなったときは、子供達が成人するまで育てました。それから、妻の両親は亡くなるまでずっとお世話しましたよ。

本物の人生は映画より素晴らしい。私は、東京屈指の素敵な場所、銀座のIrene’s Hungaria Restaurantで働いていました。天皇陛下とその友人達がテニスをしにいく時のお弁当を作りましたし、夜になれば、店の前に、GI、歌舞伎や能役者、著名な作家達とその外国の友人達、そして皇室の方々が長蛇の列を作っていました。1954年2月には、新婚旅行に訪日したマリリン=モンローと、夫ジョー=ディマジオが、私達の店に立ち寄りました。愛称モンちゃんは、映画で見るより、ずっと美しかったですよ。私は、料理でてんてこ舞いだったから、一目しか見られなかったけれども。

自由が丘は、手をつなぐために来るような場所でした。1960年4月10日、天皇明仁陛下が正田美智子様とご成婚なされてちょうど一年目、このレストランの開店祝いをしたんです。当時、自由が丘はおしゃれでロマンティックな場所でした。今もそうですけれども、当時は、酔っ払いの男さえいませんでしたよ。慶応ボーイが、私立大学の特別にかわいい女の子達を連れて、人目を盗んでは、ぎゅっと手を握り締めるような所だったんです。

笑いは最高の薬ですが、今は笑うと痛いのです。昔から妻はいつも冗談を言っていましたが、私はおもしろがっているところを見せませんでした。今は、以前よりたくさん笑っていますが、笑うと肺が痛むのです。

料理人は箸より重い物を持たないと、私は言ったものです。子供達をも腕に抱くことはしませんでした。既に肩の荷が十分にあったものですから。

水はそばにたくさんあったのに、いつも喉はカラカラでした。キャンプは世界最大の淡水湖、バイカル湖のそばでした。私達は配給される一日1リットルの水を、スチール容器に入れ、凍らないように体につけて保管しました。飲み水にも不十分な量だったので、顔なんて洗えません。お風呂は年一回だけ。一年間の364日は、汗、あか、石炭と泥にまみれ不潔な暮らしでした。

私の唯一の楽しみは日本を夢見ることでした。あと、一度女の子のシャツの中を覗いたんですよ。私達捕虜は、炭鉱だけでなく、材木を伐採したり、大工になってソビエトの農民の家を建てたりしました。農民といってもほとんどは未亡人で、卵やパンをくれたりしました。1946年、ソ連で迎える初めての3月でした。私達は梯子を上っていました。例の彼女は、おそらくポーランドかソビエトの捕虜で、白肌の若くてとてもかわいい子でした。その子はシャツを着ていたものの、下着を着けていなかったんですよ。そこでの唯一の楽しい思い出です。 

同じことの繰り返しでした。暗くなれば、外の採掘していた場所にそのまま横たわりました。帰る兵舎や家はなく、広い空が広がっているだけ。初めての冬、1500人中800人が亡くなりました。後、生き残った者が家を建てました。

時間は相対的なものです。厨房では一日はあっという間に過ぎていくのに、シベリアでは、一日一日が果てしなく感じられましたね。

戦後はもっと大変でしたよ。昔話の浦島太郎になったみたいな気分でした。日本は米国に占領されましたから、我々日本兵達は政府に見捨てられたのです。私たちは貧しく飢えてシベリアから帰還しました。政府は500円くれましたよ。

私たち夫婦は見合い結婚をしました。初顔合わせの時、妻は船と電車を乗り継いでやってきました。仲人とお茶とお菓子を食べた後、私は彼女を上野駅に連れて行きました。私は何も話さなかったし、手紙も書きませんでした。ただ一万円送っただけです。ささやかな額でしたが、彼女は受け取ってくれました。

私は東京で仕事が忙しかったので、自分の披露宴に出席できませんでした。仲人二人が、私の代理で北海道へ行き、妻の実家で開いた披露宴代わりの送別会に出席しました。当時は珍しいことではなかったんですよ。親戚が六、七十人集まって、彼女にお別れを言いにきたようです。彼女が東京に到着後、神社で挙式しました。

熟年離婚なんて滅茶苦茶なことです。離婚したいのなら、早く、結婚した直後にでもするべきです。そうすれば、また新しい伴侶を見つられるかもしれませんから。何十年も連れ添った人と別れるなんて悲しすぎます。まるで全人生が嘘だったみたいでしょう。

私にとって最新の電気機器を買うのが最大の楽しみです。最高の贅沢です。テレビ、トランジスタラジオ、ステレオ、洗濯機、電子レンジは出てすぐに買いました。テレビ番組以外のすべてのものは良くなりましたね。テレビ番組だけはテクノロジーが発展するほど悪くなるみたいだけどね。

並みな人生でしたよ。何も特別なことはしてません。ただ大好きな料理をしただけです。私は厨房で約63年間過ごしましたよ。

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【2006/08/12 00:41】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(1)
女医脇田先生
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved By Kae Wakita


脇田加恵さん(35歳)は、皮膚科医で、東京の銀座区域にほど近い新富町にあるスキン・ソリューション・クリニックの院長です。自分でも認めるほどの仕事一筋の人である脇田先生は、自分の生き方には心からの幸せを感じていますが、日本の医療制度の現状についてとなると話はちょっと異なります。でも、脇田先生は、悩みを抱えている患者の治療方法について、実際に、すばらしいアイデアをいくつか用意しています。

医師は、病気にではなく、人間にこそ関心を持つべきです。
医師を目指す最大の理由は、人への関心であり、他の人を救い、人の役に立ちたいという強い欲求であるべきです。私たちは、心理学、歴史、文学芸術などが好きな子どもたちが医師を目指してくれることを必要としています。

現状では、医師には最も不向きな人が、医学部に入学しているのです。数学や自然科学を重視する入学試験が、間違っているのです。

日本人の患者の多くは、怖い顔つきをしているとか、腰が低いとか又は横柄な医者を好みます。それは、長い間ずっと、単にこのようないやな医師にいじめ抜かれてきたことによるのです。悲しいことに、患者は、自分から進んでひどい扱いを望み、受け入れているのです。そうすることに、患者は慣れているのです。

親切で、辛抱強くさらに女性であることは、医者にとってはおそらくは、最悪の組み合わせです。
たとえ、天才的な名医であろうと、患者の体温を測ったり、本物の医師を呼び入れたりすることのほかに、女医にも何かできることがあると信じる人は、まずいません。そして本物の医師とは、もちろん権威の象徴のような男性であり、患者はその医師に向かって、貴重な時間をとらせて申し訳ないと詫びなければならないのです。

誰も持ってないものを持ちたいのです。
私は、いつもユニークなものを探しています。そして、有名なブランド品を買うことは、絶対にありません。付和雷同することは、愚かなことと思います。

病院間では競争はまったく存在せず、そのため、仕事の上でも競争は全然ないのです。
同じ医学部を卒業した医者たちは、ときには、退職するまでの長年をずっと、同じ病院で一緒に過ごします。このような制度では、医者の地位が保証されているため、医者は、官僚のように、傲慢で冷淡な態度を採ります。医者は、また、互いにかばい合い、自分たちと出身学部を守ります。

納豆と赤ワインはすばらしい取り合わせです。
夕食には、グラス一杯の赤ワインとご飯に納豆を食べます。この組み合わせは、とても風味がよく、皮膚にはすばらしい効果があります。その理由は、赤ワインは、ポリフェノールを多量に含み、納豆は、皮膚にとてもよいイソフラボンを初め、たくさんの健康栄養成分がたっぷり入っているからです。

患者は、実際にそのとおりなのですから、お客さま又は大事なお得意さまとして大切に扱わなければなりません。
私のクリニックでは、自分ならばそうしてもらいたいと思うように、患者を診療します。クリニックでは、予約を受け付け、患者のプライバシーを守るために、カーテンではなく厚手のドアのついた広いプライベートルームを用意し、そして、ほかの患者がいるところでは、患者を名前では呼ばないようにしています。患者は、診察室で支払いをします。私は、患者との話に長い時間をかけて、患者のことを聞きます。こんなことは、基本的なことなのだと承知していますが、日本ではこれが、特別な取扱いなのです。

結婚相手を見つけることはほぼ諦めています。
私は、尊敬することのできる男性が欲しいと思うのですが、たいていの男性はあまりにも軟弱だったり、結婚していたりです。すてきな男性とは、夢を持ち、努力をし、一生懸命に働きそして成功する人です。その男性の夢は、お金をたくさんもうけることではなく、ほかの人の役に立つことです。男性は、誇りが高く、そして、信頼できます。こんな人はどこにいるのでしょうか。

少なくとも、公務員の半数は、解雇すべきです。
公務員は、国の予算や私たちの税金を悪用しています。市役所に行ってみてください。何百人もの公務員がたいていは豪華なデザインの建物の中で、書類をあちこちに移すことで時間を過ごしているのを目にするでしょう。この人たちに払っているお金は、代わりに健康管理に振り向けるべきです。

男性の役割と女性の役割とが混乱しています。
たいていの男性は、責任感をまったく持たない意気地なしですから、こんな男性に比べるとどんな女性でも強すぎるように見えてしまうのです。私もそんな女性の一人です。

外来患者制度は、管理不能になっています。
3時間待ちの、3分診察。この問題は、最初の受診のときに大部分の人が、地元の医療機関ではなく、大きな病院に行くことにあるのです。もし、私が一人の患者の診察に30分をかけたとしても、私は、わずか3分しかけない医者と同額の支払いが受けられるだけなのです。

私は、いつも誰もがやってみようとしないことに挑戦します。
私は、新富町にクリニックを開院したのですが、この町は賃貸料が法外に高額なため、クリニックがとても少ないのです。この区域にあるほかのクリニックの多くでは、健康保険扱いを認めないのですが、私のところでは使えます。私のクリニックでは、毎月、赤字です。そこで、クリニックを続けるために、止むを得ず、レーザー脱毛等のお金が稼げる診療にも手を出しているのです。

お薬は本当に高価ですが、なぜでしょうか?
薬品会社の間には、実質上、競争がまったくないように思われます。市場が高度に閉鎖的ですから、利ざやは巨額なものになるはずなのに、薬価がどうしてこんなに高いのか私には本当の理由が分かりません。

私の人生に最大の影響を与えたのは父親です。
私は3人姉妹の長女ですが、私たちは父親を心から慕っていたものですから、3人ともみんな医者になったのです。父親は、今でも医者なのですが、江戸時代の有名な医者だった赤ひげのように、ちっとも利己的なところがなく、自分が気になるのでという動機から、人の治療に当たっています。お金をもうけることは、父親にとっても、私たちにとっても優先権を持ちません。

高価なレストランは嫌いです。
私は、おしゃれな場所へはめったに行かないのですが、それでも行くたびに、価格は味に比例しないと、いつも同じ思いをしています。私は、すてきな家庭料理が味わえて、気取りのない雰囲気を持つ、質素な家族経営のような店が好きです。

日本人は、痛みや苦しみが好きなようです。
「痛みに耐えることは、大人であることの証しである」、日本の医療制度は、そのような信念に基づいています。医師が痛み止めを出すことを考えようともしないのは、そのためなのです。患者を苦しませてやれ、医師はそう考えているのです。そうすることが医師をさらに強くします。

東京の人は、予想していたよりはずっと親切です。
私は名古屋の生まれですが、名古屋では東京というところは冷たいといつも言われています。しかし、それは間違いです。

どうも私は、生涯独身で過ごすらしい。
理想を言えば、私は結婚して、子どもを生みたいと望んでいるのですが、結婚相手が見つからないし、それに、子ども生むための時間の余裕もなさそうです。たぶん、2匹の愛犬と幸せな一生を終えることになりそうです。

患者は、私のクリニックの宣伝に気を使ってくれます。
患者は、友達を連れてきたり、気の利いた手紙をくれたり、ときには、豆腐、さくらんぼ、野菜、それに私の好物の烏賊の酢漬けなどたくさんのプレゼントを持ってきてくれます。あるときには、まるごとたこ一匹を貰ったのですが、冷蔵庫にこれを押し込むのは一苦労でした。

日本の医療制度は、世界の諸国に比べると本当に遅れています。
超先進国の日本にあって、ほとんどの病院が悪夢のような状態にあることを見るのは、嘆かわしいことです。多くの建物は、修理が必要な状態にありながら、病院にはお金がないのです。この業界自体は健全でないのですが、それは競争がないためです。そんな状態にありながら、日本の医者や看護師は、非常に頑張っています。

私は、日中も夜も働いています。
晩には、翌日のスケジュールをチェックして、一人ひとりの患者の治療方法をじっと考えるのです。夢の中で、患者と話を続けながら、さまざまな処置を試しているのです。これは、もう一種の病気だと思うのですが、治療の必要は感じません。こんな様子で、私は幸せなのです。

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【2006/08/11 23:59】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
小林としえさん
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Natsu Kawakami
Approved By Toshie Kobayashi


小林としえさん(76)は14歳の頃からずっと週に6日働いている。
1980年代にデジタル機器が植字機に取って代わるまでは、優秀な植字工として勤務していた。54歳で清掃サービスに登録してからは、百貨店、出版社、保険会社などで床を掃いたりモップをかけたり、ゴミ箱を空にするといった仕事を続けている。
現在小林さんは都内の高級高層マンションを担当。熱心なグルメでもあり、午後の空き時間にはデパートの食料品売り場を歩き回って美味しいものを探している。

昔は独身が恥ずかしいとされていたでしょう。いつも両親の世話をするために独身でいるんだと言ってましたけど、それはウソ。本当は、家にいて食事を作るだけの主婦になりたくなかったんです。

自殺は周りの人の命も一緒に奪ってしまうようなもの。私は今でもレスリー・チャン(香港の歌手/俳優)のことを考えるんです。彼のコンサートには2回行って、東京国際フォーラムの外で彼が出てくるのを待ちました。冬のとても寒い時期で、なかなか出てきてくれなかった。やっと彼の車が現れた時、私の足は凍りついていました。私が手を振ると、彼も私に向かって手を振って、微笑んでくれたんですよ。

技術を身につけると、世界が広がるんですね。私は植字のスピードがとても速かったから、39年間植字の仕事をした中で6回か7回ほかの印刷会社に引き抜かれて職場を替えました。それ以外にもアルバイトで電話帳を作るなんて大変な仕事もありました。収入は良かったし、とても楽しく暮らしました。

身体は脳より反応が速いんです。活字の前に立つと、どの漢字を取ろうかと頭で確認する前に自分の手が伸びていました。身体が機械みたいに動いて、頭が手足についていこうとするみたいでした。

活字はたくさんのことを伝えてくれます。同僚で、10年間隣りで働いていた男性がいました。当時私は20代、彼は40代。彼は完璧でした。私にないものを全て持っている人。でも彼には妻がいて、私たちは一緒にはなれなかった。この話はまだ誰にもしたことがないんです。彼は、毎日活字で文章を作っては箱に入れ、それを床に置いた。私はそれを拾い上げて読みました。「元気ですか。いい詩が書けました。読んでみてください。」私もそれに応えて、箱に活字を入れました。「気に入りました。ありがとう。」 言葉を交わすことはほとんどなかった。一度だけ、マーロン・ブランドの「波止場」を観に行ったけれど、手も触れなかった。彼は私に本を持ってきてくれて、私はお餅をあげた。彼が亡くなった時は息子さんがお通夜に呼んでくれて、奥さんにはお葬式にも出席してくださいと言われましたよ。

バスが遅れてきたほうがいいこともありますよね。最近じゃいつも時間通りだけど、おかげで人と知り合うこともあまりなくなってしまって。昔はよくバスのストライキがあったから、みんなでバスを待ってたんですよ。バスが来ないと、「それじゃ何か食べに行きましょうか」ってことになって。そんなふうにしていろんな人に会いましたね。

ある日、バス停で近くのビルを掃除してる女性2人に会ったんです。それ以来、いつもお昼ごはんを一緒に食べるようになりました。大抵は仕事の話ですね。話すと心の掃除になるでしょう。

日曜日は仕事がないから好きじゃないですね。私のような年寄りには、
労働が唯一の活動みたいなものですから。身体を動かさないとね。そうじゃないと、
身体が硬くなって痛くなりますよ。

いい男はみんな映画に出てるか、死んでるか、その両方。ロバート・テイラー、佐田啓二、ゲーリー・クーパーなんかは気絶するぐらい色男でしたよ。夢と現実が違うのは分かってますけど、別にいいでしょう?夢を見てるほうが楽しいんですから、私はやめませんよ。

しわがないのは心が子供だからでしょうね。

私は働く女性としてすばらしい人生をおくってきました。差別や嫌がらせは感じたことがありません。男性と一緒に働きましたが、からかわれた時は冗談として受け止めました。私もからかいましたし。どんなことでも、考え方を変えれば解決できるんじゃないですか。

犯罪が起きる時、時には被害者にも責任があると思いますよ。騙されているとわかっていても、悪徳商法から逃れるのは難しいんです。販売員は魅力的だしあきらめませんから。顔のマッサージをたった1000円で受けさせてくれるなんて、もちろん本当だとは思いません。でも、腕を取ってお店に連れて行かれると、どうしても断りきれなくて。4本で6800円もする健康ドリンクを月に2回取らされることになったこともあるんですよ。

建設ラッシュだとか言いますけど、経済は悪くなってるような気がします。3年前は自給1000円だったのに、今は950円。1日4時間の勤務だったのが、4月からは経費削減のために同じ仕事を3時間15分でやってくれと言われたんです。

若さを保つ秘訣は挑戦すること。トイレから大理石の床まで、ロビーの周りを全部掃除して、そのあと19階から2階までのごみ箱を回ってごみを集めて。それから裏の出入り口をきれいにして、落ち葉を掃いて。最後にプラスチックごみと紙ごみの分別をやるんです。全部を4時間でやるのも大変でしたけど、もっと効率的なやり方を考え出したから、同じ仕事でも早く終わるようになりましたよ。3時間15分。たいしたことじゃないんです。

私はたくさん食べられるように働いてるんです。お惣菜は絶対にスーパーじゃなくてデパートで買うようにしています。小さいパックは私みたいな独身にぴったり。日本各地はもちろん世界中の有名レストランの美味しいものが買えるでしょう。甘いものに2000円、ほかのものに2000円ぐらい使うんですよ。高島屋と松屋銀座がいいですね。

人生はすばらしいです。私は自立しているし、健康で仕事もある。友だちもいるし、くつろげる部屋があって、ケーブルで古い映画も見られるし。私はとても幸せなんです。長生きしたいですね。

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【2006/08/11 23:04】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
小島剛樹君
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved By Gouki Kojima


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小島剛樹君(18歳)は、東京のある高校の3年生です。昨年、小島君は、若者たちが社会活動をするために10年前に創設されたボランティアグループ「渋谷若者サークル」という会員800人の指導者2人のうちの一人に選ばれました。グループが毎年2回開催する午後の行事は、D1と呼ばれ、4000人から5000人もの若者たちをひきつけています。その音楽と説教の組み合わせで、若者たちは、ダンスがうまくなるだけでなく、社会に対してきちんと責任を持てるように変われると信じているです。小島君は昔は荒っぽいスタートを切ったものの、いまでは見事に立ち直りました。多くの若者たちがそんな小島君もとで働くのです。

他人が期待するよりもずっと多くを自分自身に要求する。自尊心を失わないでいるにはこれが唯一の方法であり、このような態度をとることで、僕はみんなの尊敬を得ています。多くの若者に知られるようになった今、僕は、以前にもまして賢い行動をする責任があると感じています。

澁谷の通りに座り込んでいる若者はみんな可能性を持っています。
僕は、彼らの隠れている才能を見つけ出すのに手を貸して、以前の僕のようにならないようにしたいのです。

ほとんどの親は二種類に分けられます。最初の種類の親は、自分たちの子どもが悪いことをしても大目に見ることが愛情だと誤った思い込みをしています。こういう親は、自分の子どもの友だちみたいな存在でいたいのです。この親たちは誰をだましているのでしょうか?僕たちには、友だちが大勢います。僕たちがほしいのは、きちんとした指導をしてくれて、僕ら自身やほかの人たちが傷つくのを防いでくれる大人なのです。もう一方の種類の親は、子どもにかまおうとせず、子どもはひとりでに成長するものだとか、あるいは子どものしつけは学校の責任と思い込んでいます。もちろん、両方とも間違っています。

女の子は怖い。僕が学校でランチを食べていたとき、女の子が二人で、男の子のことでおしゃべりをしていました。「毛深い男は、キモイよね」「あの子は、かっこいい車を持っているに違いないよ」「B型の血液型は最悪よ」「口ひげってダサイよね」一度だけ、女の子たちが僕に当てはまることを並べ立てたことがありました。僕は、とても幸せな気分になったのでした。こんなことは、たった一度あっただけです。

暴力は一種の自己主張の形若者は、争いを通じて意思を伝え合うのです。犯罪は、ある種の対話なのですから、親も教師もこれに加わり、子どもがほかの方法で自分の思っていることが伝えられるように手を貸すべきなのです。親は、子どもたちに話しかけたり、一緒に食事をとらなければならないと思います。

リーダーには自己犠牲が必要僕たちの毎週の会合に、毎回遅刻する子が何人かいました。そこで、もう一度その子らが遅れるようなことがあれば、僕を含めたリーダーたちはその責任を取って辞めなければならないと伝えました。そうしたら、次の会合からは、みんなが時間通りにやってくるようになりました。

犯罪は金になるが、ずっと高くつく僕は、ほかの子をおどして、楽しむことがよくありました。13歳ほどのころ、僕らは、18歳か20歳くらいの年上の男の子(大人や女の子には決して手を出しませんでした)を呼び止めて、「よう、何を探しているんだ」と聞くのです。「何にも」という答えがあると「持ち金を全部出せ!」とやるのです。彼らは、いつも言うとおりに金を出しました。その金はみんなで分けて、食べ物に使いました。けんかを吹っかけることもありました。オートバイを盗んで、不良のように乗り回しました。今では、自分のやったことを恥じています。

もっと日本をよくしたいと思うが、それは僕自身から始まる。
僕は、自分の過去がどうだったかをいつも意識していて、できる限りその償いをしようと努めています。

味噌汁を飲むたびに日本人に生まれてよかったと思う。
お袋は、豆腐と蟹の入った天下一品の味噌汁をつくってくれます。僕は、それを少なくとも1日3回頂いています。

好きな本は、辞書携帯電話やコンピューターは、ひらがなを漢字に転換しますが、僕には、古めかしい本をぱらぱらめくる方が、ずっと勉強になります。

争いに勝ったものの、結局は、僕らの負けだった。
僕が15歳のときでした。知り合いの女の子が乱暴されたと友だちから電話がありました。出かけてきて乱暴した奴を見つけ出してくれと僕に言うのです。面倒なことになるとは思ったのですが、断り切れなかったのです。こちら側は7人だったのですが、乱暴した男の方も7人でした。午後11時に公園で出合い、双方で大乱闘になりました。相手側は5人が逃げ出したのですが、こちら側は全員残りました。幸い死人は出なかったものの、仲間の7人が傷害罪で逮捕され、僕は11か月の判決を食らいました。

過去を変えることは不可能、しかし新たな意味を与えることは可能少年院で担当した更生職員が次のように言いました。過去は、そこから学ぶこと以外どうすることもできない。過去はいまさらどうにもならないが、まともな人間になって、一生懸命に働き、ずっと正直でいれば、罪悪感を何とか処理する方法を見つけ出したり、ほかの人の力になることもできるだろうと。

もっと野性的で、ほっそりとした体つきに見られたい。浅黒い皮膚はかっこいい。それは、体つきを細く見せるし、しかも本格的なアウトドアー派のように見せてくれるからです。僕は、山登りもするのですが、この色は日焼けサロンのもので、週に1,2回は通っています。

僕は何ごとにも責任を持つ。両親は、僕を大切にしてくれたし、尊敬のことばもかけてくれました。僕は、叩かれたことは一度もないのに、チンピラになってしまったのです。弁解はするものの、結局のところ、自分が悪かったのだと認めなければならないのです。

何でも、一番になりたかった。他人の引き立て役になるのは我慢ができませんでした。あまり自信がなかったものですから、自分をボスに仕立て上げ、大物のふりをしなければならなかったのです。それは、気後れがして、弱い存在だったからです。

映画は、眠気を催す。
僕は、ガールフレンドと映画に行くのですが、照明が消えると僕も消えてしまいます。ガールフレンドは、かんかんになって怒り出すのですが、どう頑張っても目を開けていられないのです。

日本の法律は、おかしい。僕は、悪人を守る法律制度に大変助けてもらいました。たとえ、そうだとしても、甘すぎる刑だと思いました。本当は、軽くても2,3年の刑かなと覚悟したのですが、11か月の刑ですみ、8か月で出所しました。

母親の涙が更生の鍵でした。逮捕されたとき、僕は罪を否認し続け、母親にさえも嘘をついたのでした。母親は声をあげて泣き、せめて自分にだけは本当のことをしゃべってくれと僕に迫りました。そうなってみて、母親がどんなに僕を大切に思ってくれているか、そしてどんなに深く悲しんでいるかを悟ったのでした。僕は、二度と母親やほかの人の心を痛めるようなことはしないと誓ったのです。

ことばは、性格をつくる。父親が亡くなってから8年がたち、ついこの間、思い切って遺品を調べて見ました。名前がたくさん書き込まれた手帳を見つけたので、この名前の人たちは誰なのかと、母親に尋ねました。母親が言うには、その名前はみんな親父が僕に付けようと考えたものだとのことでした。この組み合わせ文字を見て、僕は最高の名前を付けてもらったことが分かったのです。僕は、「たくましい樹木」を表す剛樹という自分の名前をとても誇りに思っています。

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【2006/08/11 23:00】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
津江孝夫氏
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Kodo Miyaoka
Approved By Takao Tsue


津江孝夫さん80歳は、十日戎祭りで有名な今宮戎神社(大阪市)の神主であり、現在はその名誉宮司職に就かれています。十日戎祭りは毎年1月に催され、三日間に渡り100万人を超える大勢の人が訪れています。伝えによると、今宮戎神社は紀元後600年に聖徳太子によって建てられ、津江さんのご先祖の方々も過去800年もの間、この神社で神主として従事されていたと記録に残っています。最近では、ご子息の明宏さんが、この神社の19代目の宮司に就任され、太陽の女神である天照大神を始め、鯛を抱きかかえた商売の神である戎様など、その他3人の神に御勤めされています。
今宮戎神社サイトへ

神道は自然を尊び、自然の壮大な力を受け入れています。日本は世界で最も地震が多い国であり、また、台風も多いことから、我々日本人は自然を征服することは絶対にできないと分かっていますし、何よりも、自然を征服したいとすら考えていないのです。

神や女神に何かを願い続けることが良いことです。だからこそ神や女神が存在するのです。山々、動物たち、木々や草草など生きとし生けるものの中に神聖な神が宿っていて、優しく私たちを助け、守ってくれているのです。

日本は最も開放的な国であると言えます。我々日本人はありとあらゆる種類の価値観を許容し、あらゆる宗教や思想を尊敬し受け入れています。例えば、赤ちゃんが生まれた時には多くの両親は幼児を神社に詣でて幸せを祈願します。大勢の人がキリストの教会で挙式をあげる一方で、葬儀は仏教の寺院で執り行なっています。

宗教は文字通りの意味であるとは限りません。
神道では、「八百よろず」という言葉があり、八百万の神や女神が存在しているという意味ですが、それは単なる表現上のことであって、実際はもっと多くの神々が存在しているかも知れないのです。

祭事は自然、地域社会や先祖に対する我々の感謝の意を表したものです。いかに忙しくても、できるだけ多くの祭事に参加することが大切です。

事業は決して政治と関係すべきではありません。歴史的に見て、大阪は日本における商業の中心地であり、500年前でさえ、日本各地から商品が大阪に運ばれ、各都道府県別に巨大倉庫に保管されました。大阪は裕福であり、当時の商人は政治に関係していたことで、事業が良い影響を受けることはありませんでした。

生徒の体が小さいからといって、先生が見下したように話をしてはいけません。
先生は学校で楽しく教えようということに重点を置いていますが、実際に先生が行っていることは芸人のように振舞っているだけで、実際のところ、生徒の学習は遅れているという悲しい現実があります。

必要以上のものを無理に買う必要はありません。
大阪市は市税を使って多くの芸術品を購入しましたが、美術館に貯蔵するのでなく、倉庫内に無意味に埃をかぶせ眠らせているだけです。

どんな事業活動でも、ゴールは人の役に立つことだと思います。
あなたが人に貢献したいという純粋な気持ちがあれば、その気持ちから、あなたは一生懸命働き、大勢の人からのサポートを受けることとなり、その事業は実現します。

完全な一致というものはありません。
自分自身をより高めようとする気持ちで、お互い信頼し合って結婚したことで、家内と私は58年間、幸せな結婚生活を送っており、3人の子供と6人の孫に恵まれています。

市街地は破壊されたが、私は3度生き延びた。第二次世界大戦が終戦を迎える頃、私は東京にいましたが、アメリカ合衆国が夜、東京に爆弾を投じました。巨大な爆風に全てが飲み込まれましたが、私は何とか無事でいることができました。私は大阪に向かい、名古屋を過ぎるころ、爆撃がありましたが、また逃れることができ、大阪に到着した時、またもやアメリカ合衆国の爆撃がありました。一連の爆撃は原子爆弾よりも多大な被害をもたらしました。市街は崩壊し、人々は焼け焦げて灰と化しました。そして私は日本が戦争に負けたことを知りました。

日本人は指導者の育成の方法を忘れてしまったのです。第二次世界大戦前、日本は金のためでなく、国のために働くエリートを育成するための特別学校がありましたが、終戦後、エリートが育つことが、いわゆる「平和主義国家」において、社会的に反することであるとの考えから、その類の学校は全て閉校となりました。

日本再建のため、我々日本人は教育者を教育する必要があります。我々は道徳心を持ち、職業に対するプロとしての誇りを持った先生を育成する必要があります。

一つの小さな失敗でも、修復させるのには時間がかかります。日本国憲法は1945年にアメリカ総本部の25人の軍事司令官によって、およそ1週間かけて作られましたが、50年もの間、この事実が公にされることすら禁じられていました。我々が具体的な手段を講じて、憲法を変えるにはどのくらいの時間が必要となるか。恐らく、50年、100年の時間を要するでしょう。

神道は個人でなく、グループに焦点を当てて、重んじています。祭事において、私たちは生命と自然を祝い、収穫と豊年に対する希望を皆で分かち合います。誰も神や私から個人的問題に対するアドバイスを期待しているのではありません。

幼児的なかわいらしさを強調する傾向は良い結果をもたらしません。
今日では、大人の日本人ですら、かわいいという概念に取り付かれていますが、私たちの精神にとって、本当に必要なことは偉大な芸術や芸術に関する知的な対話です。

神道は人々に平等な機会を提供してくれます。多くの女神が存在するように、当然、女性も神道の神主になることができます。

日本人は多面的にあらゆる物事を考えることができます。日本の庭師は一つの木に最適な場所を見つけ出すのにさえ時間をかけて行います。それは、多面的にその木の美しさを考え、その場所における他との関係をも深く考慮するからです。

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【2006/08/11 22:51】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(1) | コメント(0)
律子 リッツイ 小島
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Ritzie Kojima


律子 リッツイ 小島 53歳 病院ソーシャルワーカーや、通訳として活躍していたが、十年程前 家族の世話や、年老いた母の面倒を見るためにその仕事を辞めた。
三男の母であり 九州 熊本では 度々 友人達と自宅パーティを開く等、料理も得意だ。活動的でパワフル、何事にも前向きに挑戦している。

彼女は 二歳半でポリオに罹るまで、そこらあたりを駆け回る お転婆娘だった。
両親にとって、この病にかかったことは辛い事だったろうが、本人にとってみると 大した事ではなかった。
松葉杖を使い 多少不便はあったものの悲観的になることもなく、頑張ってきた。
ポリオであろうと、何であろうと泣き言を言う人生は嫌であった。

そんな私を夫は見ていた。毎日松葉杖をつき、バッグを下げてバス停に毎日立っている私の姿を彼はどこからか いつも見ていたらしかった。 一度も口をきいた事も無かったけれど、ポリオの手術で入院していたある日、まだ医学生だった彼が病室に現れ、それからは 私が退院するまで時々話すようになった。
私達の結婚について、人々は色々と詮索をし 彼が私を車ではねて傷を負わせ、可哀想に思いその責任をとって結婚したなどと言われたこともあった。勿論それは事実ではないが 退院した後は、よくドライブに誘ったりしてくれた。  結婚して30年を過ぎたが未だにラブラブ?である。

十年前の母の介護の負担がもとで今は車椅子を使っている。ステッキで歩けるのだけれど
母を抱えようとして膝を痛めて以来、長く歩く時は建物の床は意外と滑りやすいので、なるべく車椅子を使うようにしている。その方が体力温存でもあり、夫の両親の面倒も見なくてはならないからだ。

遠い道のりも一歩から始まるもの。人を助けようとしてもそれは大変なことで難しい事なので私は自分の出来ることを、ほんの少しずつを何度もするようにしている。

他人のためでなく自分のために努力をする。もし誰かを愛したら、その人にふさわしくありたい また愛されたいと思うもの、お互いにそうやって磨きあえば 理想のパートナーになれるでしょう。

アメリカでは、失ったものを悔やむより残ったものを評価する。
18年前、ミスタードーナツの留学制度の奨学生に選ばれ 自分の望む分野の勉強ができるチャンスが得られた。 私は米国UCLAで、障害者の福祉を学ぶことにした。カリフォルニアのあらゆるタイプの障害者施設や、作業所において 様々に違う障害を持った人達がどのように協力しながら働いているのかを調べて回った。それは、じつに驚きで目を見張るものがあり 日本もそうあるべきであると強く思った。

お涙頂戴は簡単、でも人を笑わせるのは難しい。学校や、いろんな所で講演を頼まれる。彼らが私を見たとき同情を引くのは簡単、でも私はいつも、経験談の中から笑わせるようにしている。

我が儘でいい。もし 貴方が幸せでなければ、人を幸せになど、できはしない。先ず自分を大切にする努力をしよう。

言葉でどんなにごまかしても心の中に差別があれば意味を成さない。
アメリカでは ファイヤーマンをファイヤーファイターに呼び名を変えたり、ポリスマンをポリスオフィサーに変えたりしているが、やはり 相変わらず職場では性差別がある。
同じく 日本でも障害に関しての古い表現言葉を制限しようとしているが、それ自体は現状改善の何の助けにもなっていない。

人は誰でも明日自分が障害者になるかも知れない。だから私に会ったらその事を考えて欲しい。建築に携わる人はこの事を念頭に、高層ビルなどの新しい建物の配慮をし、具体的に女性用トイレの増設や、車椅子用トイレの設備研究やサインなどの改善が望ましい。

障害者も笑いの一員  日本のテレビ、ニュースでは、過剰な配慮で車椅子の人や場面を放映しない傾向が感じられるが、社会構成員として平等に扱うべきである。 
アメリカでは、政府が障害者雇用を進め彼らを納税者にするべく努めているが、日本では働く場所も与えられていない もっと政治的に支援が必要だと思う。

子供は親の物ではない。一端私から離れ生を得たら もう私物ではない。たとえ親としての権限があろうとも、常に彼らの意見や考えを尊重し話し合って同等を目指して育てて来たつもりである。

日本社会では私のような障害者に子供を持つ勇気を失わせている。
私には、3人のそれぞれ医歯学に進んだ子供がいるが、この忌まわしい考えなどとは全く関係なく生きている。

失敗をおそれる日本人。恥を恐れる日本人は英語をしゃべろうとしない、それと同様に車椅子の人を見ても助けようとしない。  

出来ない事を見ないで何が出来るかを考える。アメリカでの障害者雇用の会社での箱詰め作業で、10までしか数えられない人が働いており、残りの2個をその隣の人が詰めて手伝う、このようにして1ダース作業を進めていく方法をとっていた。

共感は良いけれど哀れみは要らない。

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【2006/08/09 21:16】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
佐竹 昌一郎氏
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved By Shoichiro Satake


佐竹昌一郎 (46歳)氏は、画廊ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アートのディレクターであり、アンディ・ウォーホルとジャン・ミシェル・バスキアの作品については、日本で最大の画商である。佐竹氏は、ウォーホルの作品では3000点、バスキアの作品では100点以上の販売実績があるが、主要作品のいくつかは彼の手元に残っている。

苦しみを分かち合うことはなかなかできないが、芸術を通じてなら可能だ。作品を見て苦しみを感じ取る人が増えれば増えるほど、マイナスの力がプラスの力に変わる。芸術はマジックである。

私は、人々とは芸術によって意思を通わせるが、このことは宗教に極めて近い。芸術家は神であり、私は神の魂を商う僧侶である。日本人の多くが神を信じていないことは、残念なことである。

私はいつも一人ぼっちだ。子どもの頃、私は何かと言っては苛められた。その理由は、私の家が金持ちであること、私には中国人の血が半分入っていること、それに、やけどの怪我のため、右の掌を広げられないことのためだった。私は三重苦の障害者であったのだが、逆にこのことが私を逞しくし、ひたむきにさせた。私は、成功してみせよう、しかも一人でやろう、と決心した。そして、私は実際にやり遂げた。

私は、二重生活を送っており、その代償を支払っている。
朝9時から午後3時まで、私は数十億~数百億円にも上る額の先物の取引をして、平均20パーセントもの利益を稼ぎ出している。自分の芸術への耽溺に注ぎこむのに必要なのだ。私が稼ぐのは、もっと多くの作品を買うためである。すべては、次の購入費用に充てるのだ。私は芸術に心を入れ込んできたのだが、止めるつもりはない。

私は成りたい人になるだけの能力を持ち合わせていないことを自覚している芸術家なのだ。私は芸術家になりたいと望んでいたのだが、それほどの能力のないことにすぐに気づいた。そこで、美術商になろうと方針を変えた。しかし、ある意味では、自分が思い浮かべる芸術家に劣らず私は熱狂的である。もっとも、自分をこの世から抹殺したいという衝動を抑える自制の力は持っている。

純粋、悲しみそして暴力が私を魅了する。
芸術の中で、そして人々の中で。

私は、どこか裕福な家庭のできの悪い二代目のような息子ではない。
私は、両親を騙してせびり取ることが良いことだとは思わない。家には十分な程の金があったが、18歳の誕生日以来、親の金はタダの1円たりともあてにしたことはない。当初少額での株式取引を初めようとして、自分用の電話の架設費用を払ったときのことである。すぐに私は巨額のリスクを負い、莫大な利益を手にした。それ以来、私の投資金はすべて自前である。

私は混血児で、両親のそれぞれから一番いいところを受け継いでいる。
日本人の母親からは、他人へのいたわりを教わり、中国人の父親からは、自分の家族に心温かく接し、そして大事にすることを学んだ。

事故が私を美術に引き込んだ。
生後7か月のとき、私は右手に大やけどを負い、手のひらがやっと広げられるようになったのは、3回の手術をして、絵画教室を含む10年に及ぶリハビリ治療の後のことであった。私は、絵画教室が嫌いだった。ほかの子どもたちがコップの完璧な写生画を提出しているのに、私の描いた絵は、まるで地獄から表れたUFOのようだった。それでも、私の絵が気に入った先生は、次に私がひどい、暗いわけの分からないものを画用紙に描いたときには、上手いと誉めた上に、ほかの子どもたちが残されて、絵を描き直しているのに、私に飴をくれ、帰宅を許可してくれた。

子どもながらも、私には理解できた。抽象は、何よりも速やかに核心に到達する媒体である。

私の干支は、亥である。中国の星占いでは、亥が、親切をもっとも重んずるという点で尊敬されている。このことは、私にとって真実であり、このためか、私を利用しようとする人にとって容易な標的になっている。幸いなことに、私は人の心をすぐに見抜くとことができるために、自分の身を守ることができる。このことは、私の眼力が自分の心を苦しめたり、嫌な気分にさせることでは、私の悲劇である。美術だけが私の心を癒してくれる。

私は、ロッキー・バルボアに似ている。
私はいつも厳しい戦いの中に身を置いている。どうにか最後には勝利を勝ち取る負けず嫌いな男だ。

私は、治りかかっているマゾである。
私は障害児であり、始終苛められていた。過去が辛ければ辛いほど、そして差別を感じることが多いほど、私は成功したいと強く決意した。

沈黙はもっとも雄弁なコミュニケーションの形であり、私はさらに多くの沈黙を望みたい。

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【2006/08/07 23:51】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
肉のたかさご 
Words to Live by
By Judit Kawaguchi
Translator: Toshio Ozawa
Approved By Arihiro and Kimiyo Fujita


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東京月島で、表彰を受けた焼き豚で知られる「肉のたかさご」を営む藤田有宏さんと藤田喜美代さんは、豚肉を熟知している。65歳のご両人は、夫婦の力の大切さもよく心得ている。二人は結婚して以来40年間ずっと一緒に働いており、この間一回の口げんかすらしたことがないという。

有宏さん:裸になってお風呂の大きな湯船につかっているときに、口げんかなんかできないでしょ!わたしたちは、毎夜いつも一緒にお風呂に入るのです、そうするとゆったりくつろげるものですから、その日のいけなかったことを話し合ったり、次の計画を考えたり、お互いにありがとうと言い合ったりするには、お風呂の時間がぴったりです。私が、今日はむっとしてごめんねと言えば、家内が、気にしないでいいのよ、と答えるのです。

喜美代さん:男は女よりもずっとたくさんの元気付けが必要なんです。ですから奥さんがそこのところをきちんと分かっていれば、何もかもがうまくいって、家族のみんなが幸せになるんです。

喜美代さん:日本人はちゃんと目を合わせないようですね。それって本当です!だから、うまく話ができないのですよ。下を向いているとしたら、話をしっかり聞いていないという意味なのです。正直な人は、ちゃんと目を見て理解するんですよ。

有宏さん:他人を変えてやろうと考えるのはまったく時間の無駄ですね。ほかの人には気持ちよく接してそっとしておくことです。

有宏さん:私は14年前に大病を患ったことを、幸せに思っています。それまでは、自慢たっぷりに、私は絶対に病気に罹らないと信じていたんです。ですが、いざ病気になって悟りました。病気は、自分に限界があることを教え、人生をいろいろ変えるのに役立つところから、友だちになれるのだということを。

喜美代さん:どんなにお金があっても、また、どんなに高価な服装をしようと、そんなものは意味がありません。私たちは身なりを気にしません。中身がほしいのです。貧しくたって、真心から話をする人が、私たちにとっては全てなんです。そんな人に、四人の娘を嫁がせたいと願っています。

有宏さん:私たちは、わが家に相応と見られるものは、すべて与えられています。20年前、私たちは、何も考えずに人を信用して、大きな財産を失いました。あの人たちを泥棒に仕向けてしまった環境については、私たちに責任があります。ですから、もし何かひどいことがあなたの身に起こったとしたら、きっとあなたが何か間違ったことをしているのですから、自分の態度を見直すべきです。

有宏さん:私たちにとって、人に施せる事は高価なワイン付きの高級ディナーに行くことよりもすばらしいことです。

有宏さん:家内は、娘たちのボーイフレンドの全員に目を光らせています。そして、もし検査に合格しなければ、ボーイフレンドは過去の話になります。ですから、両親や友だちは、恋愛の関心にしっかりチェックを入れて、過ちを犯さないようにする責任があるのです。

有宏さん:生命のあったものですからお肉の部分を粗末にしません。また、どんなに小さな生命であっても無駄にしてはならないのです。

喜美代さん:もし、この仕事につかなかったとしたら、私はみんなをきれいにしたり、気持ちよくする美容師になっていたでしょうね。

有宏さん:私だったら大工さんだね。だって、他人のためにデザインを考えたり、きれいなものを作ったりするのが楽しみだからね。

喜美代さん:毎年大晦日には、主人はこの1年間の感謝の印として、私の体のすみずみまで洗ってくれるんです。私は、主人の体を洗いません。やらせてくれないんです!私が、主人の体だったら、私たちは平等なんですが、主人はそれを望みません。主人は私にやさしくするのが好きなんです!

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【2006/08/07 12:31】 | Words to Live By和訳(J) | トラックバック(0) | コメント(0)
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